なむらの育児日記

うつ~産後うつ、そしてうつへ

延期の続きの話。

こんにちは、なむらです。

 

皆さんは、『いい母親』ってどんな人だと思いますか?

 

『いい母親』って凄くふんわりしてますよね。まずは『いい母親』の定義からしていかなければなりません。

先日の、4月お迎えが延期になった話し合いの時に出た私の言葉です。あれから何日か経ちますが、考えてみたものの、はっきりした定義は私の中で出てきませんでした。児童相談所の方に、「いい母親ってどんな存在ですか?」と聞かれて、即答できなかった問題です。自分から「いい母親になれない」なんて言っておきながら、『いい母親』がどんなものなのか分かっていないのです。矛盾。

 

そして私はこう考えました。

『いい母親』とは、『自分が実母にして欲しかったこと』ではないかと。

いつも一緒に居て欲しかった。

いつも一緒に遊んで欲しかった。

いつも優しく笑っていて欲しかった。

私は3姉妹の末っ子です。末っ子というと「甘やかされたでしょう」とよく言われました。放置された覚えはあっても、甘やかされた覚えはありません。嫌な記憶ほど残るように人間て出来てますよね。

幼稚園の頃、年上のお姉さんに「なむらちゃんは可愛くないから遊ばない」と言われたこと。小学生の頃、ある日突然クラスの女子全員から無視されたこと。30年以上経っていても、よくよく覚えてるもんです。

我が家は父方の祖父母と同居の3世帯でした。母は、パートにも出ていて家のことを1人で全部やっていました。幼稚園のお迎えのあと、私を連れて掃除のおばさんをやっていました。今考えると恐ろしいことです。でも当時の私には分かりません。周りの友達はお母さんが迎えに来てくれたら自宅で遊んでるのに、どうして私は遊んでもらえないのだろうと思っていました。

休みの日にどこかに遊びに行ったりはしないし、長期の休みがあっても旅行はしないし、遊園地なんて記憶にないし(某夢の国の写真は1枚あるが記憶にない)、家族みんなで外食した記憶もありません。可愛がってもらった記憶がありません。よく怒られていたし、包丁を持ち出されたこともありました。

姉も上の2人は仲が良かったですが、1番下の私はちびっこ扱いで仲間に入れてもらえませんでした。それに私が物心つく頃には、2人で家を出ていたので仲も良くありません。

3姉妹というところもポイントです。はい、最後に男の子が欲しかったのです。でも実際授かったのは私でした。それを聞いたのは中学生の頃でしょうか。母方の祖父が亡くなって、お墓参りの道中で車の中でした。親戚のおじさんおばさんが話していたのが耳に入ったのです。その話を聞いた時「あぁ、私はいらない子だったからお母さんは優しくしてくれないんだな」と思いました。

それからは何かあるたびに「母親ぶってるけど母親らしいことしてないじゃん!」って反発してました。思春期ですね。

 

私の『母親こじらせ』は幼少期の頃から出来上がっていたのかな、と。

でもふと思ったのです。『私の母親像』と、『息子の母親像』はイコールじゃないよね?と。私にとって『いい母親』は息子にとってどうなのか。それは息子が決めることです。私は、私がして欲しかったことを息子に押し付けていないか?息子も当然同じように求めているはずだと、そう思い込んでいたのではないかと気づきました。

私が思う、理想の『いい母親』はとんでもなくレベルが高かったのです。年々築き上げてきたこの理想の『いい母親』はなかなか倒せません。現在進行中でレベルも上がっています。しかし、息子のためにも倒さなければなりません。

まず、これに気づくことが出来たのが大きな発見です。少し客観的に自分のことを見ることが出来るようになったのかなと思います。

これからは、息子との距離を縮めるだけじゃなくて、実母とも距離を縮める必要があるのかなと思った夜でした。

(いやだ~)




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